2012年10月30日(火)
自宅の事務所から見る花壇、と言ってもなかなか花畑にはならず
寂しい花畑なのですが、犬の居場所にもなっているので、
家の中での仕事に疲れて来たらわんちゃんと遊んであげるのです。
いえいえ私の方が遊ばれているような・・・・・私の姿を見たら
ボールを持ってきて追いかけてくれと言わんばかりに目で合図をするのですよ。
遊びながら庭の中の雑木のような木々の中から虫食いの多い葉っぱが気になり
調べてみようと思い立ち、葉をちぎって香りをかいでみたら、
覚えのある香りがしてきたのです。でも何かは分からない。
さらにインターネットで調べてみたら(月桂樹)の葉っぱに似てる。
そこまでは確認はできました。
数年前に「昭和や」さんから枝を頂いてきたのを思い出しました。たぶんその枝が
根付いたに違いありません。
根付いたと言えば従妹が小さな枝をプレゼントしてくれたことがあるのですが
地面に近いところに濃いピンク色が目に入り、よく見たところチェリーセイジの
花だったのです。花が見られるのは枝がもう少し大きくなってからだろうと
思ってましたので、驚きでした。思い込みははずれたというわけです。
思い込みだけで決定するのは危険です。
話は「神社」談議でした。
前回のブログで書きましたが、神様の社は本当は人に鎮座するべきではなかったのか、
それが「神様の宮」として人の魂の中に生き続けるべきものだったのでは?
だから神社に鎮座する神様は目に見える形で象徴的に建立され
人々に「神の宮」の道を示されたのでは? 等々
考えさせられています。
そしてその「道」たるものが「宗教」等の形をもって人々の前に
立ちはだかり教祖崇拝をさせてしまっている由縁なのでは???
キリスト教でのイエス様は「私が真理であり、道である。私を見る者は
神を見るであろう・・・・」と聖書の中に記されていますが、
2000年前にそのように言われていたイエス様は「神の宮」となり
人々へ【神様への道】を開いてくださったのでは・・・・・・・などと・・・・
日本の土着民族が他民族と掛け合わされて信仰深き日本民族と
なったことは間違いありませんよね。
私がキリスト教で知ったイエス様は今の時代、日本文化に残ってる
神道の神髄と(神様のみこころ)がよく似たものであることを
教えたかったのではなかろうか???・・・・・と
いろいろと考えてみております。
皆様はどのように考えられますか?